THE NETHERのねたばれ感想

なんか公演期間中はネタバレに配慮配慮!みたいなツイートをたくさん見かけたのでこんな僻地に見に来る人もいないだろうけど一応検索とかで引っかかってしまったら申し訳ないなってことで、今になりました。

 

最初、モリスはドイルのことを少し自分の父親に重ねて見ているのかなと思っていました。ネットの世界にはまり込んで現実に目を向けてくれない父親という意味で。そういう気持ちも少なからずあったのだと思うけれど、ウッドナットとしての自分で出会ってしまったアイリスへの初恋の気持ちから、ドイルを助けたい、パパよりももっと自分を見てほしいと色々言葉をかけていたのだね。最後に一緒にハイダウェイにログインしようといったモリスが職務上ギリギリ許されているっていったんだけど果たしてそれが本当だったのかはわからないというか、私には越権行為だったようなそんな気がしました。なんていうんだろう・・・目の前でアイリスがパパに振られるところを見たいって思ってしまったんだろうかモリスは…(怖)でもそれをきっかけにドイルは命を絶ってしまう・・・これがラストシーンのあの雪のシーンに重なってもう切なくて切なくて。

モリスは自分をあまり見てくれなかった父親を恨む気持ちもあって、そして捜査官という立場もあって、NETHERにハマりすぎる人々のことを軽蔑の目で見つつも自分も結局ハイダウェイに居心地の良さを感じてしまっている葛藤があり、シムズがモリスに性的な話題を振って挑発する時の北山くんの表情はゆがんでいて、1回目に見た時はピュアゆえの表情だったのかしらと思ったけど2回目では自分もアイリスに恋してしまっている複雑な表情だったのね。ここの北山くんすごくよかったから。

 

最後の方のシムズとドイルのシーンは何というか演出もぎりぎりを狙ってきているといったらいいのか、はっきり言って初見だと「え?これそういう気持ちで見たらいいの?」って思ってしまうシーンかも知れない。梅雀さんだからこそ許されるっていうのもあるし。滑稽だからこそ、ドイルは自分がハイダウェイで少女の姿であるということを暴かれたくなかったのだろうなとも思える。モリスとドイルの関係性に感情移入しているとひたすら切ないシーンだし、第三者目線だとえ???は???って笑いが起きるのもむしろ納得というか、もう本当に狙ってきてるシーンなんだとわたしは思いました。でも2回目に観劇した後にも書いたんだけど、このシーンにはいったいどういう意味があったのかって自分なりに考えると、その前のモリスの「今も昔も人は学んで成長していく」っていう台詞がわたしはすごく心に残ったので、あれは本来の姿で愛した愛された思念…ていうのか、シムズはログアウトしてしまったけれどまたハイダウェイに変わる彼の中の世界での出来事なのではないのかな・・・と思っています。いやまぁシムズがそんなにいい人かっていうとそういう感じもないけど平田さんがパンフで語ってたことを読むとなんかそうでもいいかなって。

 

他にも心にずっしりぐさりとくるセリフがいろいろあって、シムズのハイダウェイにくるお客様は普遍性(連続性だっけ)を求めているとか、親しくなりすぎると問題が起きるとかそれを受けてのアイリスの好きになりすぎない等等ネットの世界では今もすでに起こりそうな?起こっている?ことだなぁと思いました。シムズは自分が若い頃に好きだった近所の女の子の面影を今もハイダウェイで利用していて、己の欲を満たすためにその彼女は普遍的でなければならなかったのだけど、自分が変わっていくように対象も変わっていくものなので、「好きになった時のまま」なんてありえないってことなんだよね。それに現実の自分のことは話さない(あくまで仮想現実の中の関係)というのも、でもやっぱり相手のことをもっと知りたくなってしまうというのは世の常だし、演出の瀬戸山さんもそういう人間の気持ちが文化を発展させてきたと書いているので、これからの未来、もっと仮想現実が身近になってきたら現実世界でのマナー、仮想現実の出会でのマナーともっといろいろ気を遣うことが増えていきそうだなと思ってしまった。

 

恋愛ものではないんだけど、全員が誰かを恋しく思っているという不思議なお話で、それぞれその気持ちが暴走していって不幸が起きてしまうっていう、身近ではないけどいつ起きてもおかしくはないような、そんな作品だったと思います。北山くんについてはその膨大のセリフ量や言葉遣いがとにかくすごいって話題になっていたけどふとした表情や本当に私が一番すごいって思ったのは、間の取り方で、練習の賜物だなぁと思って観ていました。もちろん北山くん自身の感覚も優れているのだと思う。本当に素晴らしい作品を観られて記憶に刻まれたことが何よりうれしいです。